寺尾聰の嫁や子供は?身長は?父はどんな人?関係性は?

「ルビーの指輪」が大ヒット。日本を代表するシンガーソングライターとして、歌謡界の記録を塗り替えた経歴を持つ寺尾聰さん。

その後、俳優としても活躍。歴代のお嫁さんはとても綺麗な方ばかり。今回は、そんな寺尾さんについてまとめました。

身長は?

寺尾さんの身長は176cmだそうです。

もう少し大きいイメージでしたが、平均身長より少し大きいくらいでしょうか?

寺尾聰

目黒区立第十中学出身。法政第二高校を卒業され、文化学院大学へと進みます。

文化学院大学文学部在学中に「ザ・サベージ」を結成。(ベース担当)

都会的でクールなイメージのあるバンドとして注目され、学生主催のパーティーやコンサート等で活躍。

特に女学生の間で圧倒的な人気を誇っていたそうです。

大学卒業時期にアマチュアバンドコンテストで優勝し、ホリプロ社長の堀威夫氏からスカウトされ1966年7月、フィリップス・レコードより「いつまでもいつまでも」でレコード・デビューを果たします。

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67年3月に、俳優の道へ進むために「サベージ」を脱退。

俳優へ

石原プロモーションに所属。

68年2月、映画『黒部の太陽』でスクリーン・デビュー。

石原軍団の若手有望俳優として、テレビドラマに出演し人気を獲得していきました。

伝説の刑事ドラマ「大都会 PARTIII」1978年10月3日~1979年9月11日放送日本テレビ系列)での牧野次郎(愛称はジョー)役。

「西部警察」1979年10月14日~1982年4月18日放送テレビ朝日)での松田リキ(愛称はリキ)役と2人ともサングラスに44マグナムを愛用するという新たな刑事役として社会現象にまでなりました。

新たな刑事役のイメージが広まります。

寺尾さんを検索すると、サングラスをしている画像が圧倒的に多いのもこのせいでしょうか。

お似合いですよね。

ルビーの指輪

この大ヒット曲で1981年第23回日本レコード大賞を受賞します。

売上枚数は、160万枚!数々の賞をとり、歴代の記録を塗り替えます。

週間1位(10週連続 、オリコン)
1981年度年間1位(オリコン)
1位(12週連続、ザ・ベストテン)
1981年度上半期1位(ザ・ベストテン)
1981年度年間1位(ザ・ベストテン)
1位(10週連続、ザ・トップテン)
1981年度年間1位(ザ・トップテン)
1位(10週連続、全国歌謡ベストテン)
1981年度年間1位(全国歌謡ベストテン)
1981年度年間1位(歌謡ベスト10)
第23回日本レコード大賞を受賞。
第32回NHK紅白歌合戦出場。

レコード大賞では、作詞者の松本隆は同賞の作詞賞、作曲者の寺尾は作曲賞、編曲者の井上鑑は編曲賞を受賞し、楽曲製作者に贈られる3タイトルを総なめにもしました。

この時にはすでに、俳優として活躍されていますが、元ミュージシャンとしての活動がヤット実ったとも言えますね。

德川家康役

2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に德川家康役で出演。

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ドラマの中でいつも右目を半開きに。

そのため、「寺尾聰は右目が悪いの?」と話題を呼びましたが、実は全て役作りのためでした。

「僕の中での家康は裏表のある曲者。それを自分で常に意識するために裏の顔の象徴として右目を少し閉じて何か企んでいるように見せるようにしました」

このように語っています。

結婚と離婚

1973年「2丁目3番地」(日本テレビ)で共演した范文雀(はん ぶんじゃく)さんと結婚。

1974年には離婚しています。1年でスピード離婚しましたがその理由は??

結婚前にジュディオングさんと交際していたという噂。

「結婚後は家庭に入って欲しい」と熱望したことでジュディオングさんとは破局し、范文雀と結婚されましたが、離婚理由について定かな情報はありませんでした。

再婚

現在の嫁は、1979年に資生堂のCM『微笑みの法則』に出演したことのある、元モデルの星野真弓さんです。

お2人は、「西部警察」で共演されたことで出会いましたが、当時星野さんは19歳でしたから、かなりの年の差カップルですね。

2人の娘(子供)

お子さんに関して、画像はおろかプロフィールも明かされておらず、情報はあまりありませんでした。

長女か次女かは、わかりませんが2005年にテレビ出演された時に20歳ぐらいの娘さんがいることを話していたので、現在は30代前半の娘さんがいるということですね。

男女3人のお子さんがいるという説も!

2012年に出演したNHKドラマ「永遠の泉」の会見で「杏ちゃんはうちの娘とよく似ているんだ」とコメント。

このコメントで娘さんがいることは確定されています。

父・宇野重吉

父親は、俳優座・文化座と並んで日本を代表する劇団『劇団民藝』の創立者、宇野重吉さんです。

1981年には長年に渡る演劇界への貢献から紫綬褒賞を受賞

2008年には、同じ賞を寺尾さんご自身も受賞されています。

関係性

寺尾さんはお父様をとても尊敬しているようです。

寺尾聰は「自分が道を踏み外さなかったのは、オヤジのおかげ」と後に語った。

こんなエピソードもあります。

寺尾さんは、物静かなイメージとは裏腹に、今でも会った人が誰もが感じる「やんちゃな思考」の持ち主で、高校時代は警察のお世話になったことも。
そんな時でも、宇野重吉は何も言わずに寺尾聰のことを見守り、当時不良の代名詞だったエレキバンド活動にも全く反対しなかったそう。

とても理解のある父親がいたからこそ、裏切れないと更生する気持ちになれたのではないでしょうか。とても良い信頼関係があったのだと思います。

父親の七光りと言われた時期もあるようですが、信頼し、俳優の道に進んで成功されて、お父様もきっと天国で喜んでいらっしゃることでしょう。

これからも味のある役所で楽しませてほしいです。応援しています!

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